福岡市早良区、福岡市東区からレコード買取
ゴールデンウィークから初夏にかけて買取は続いております。
福岡市早良区、福岡市東区から、今旬のシティ・ポップの買取が多くありました。
シティ・ポップの前のおしゃれ系は、渋谷系のボサノヴァ的なものが多かったですが、今回はブラジル音楽について書いてみました。
初夏の陽射しにぴったりです。
ピシンギーニャのショーロ
ピシンギーニャの初期録音を聴いたとき、同席していた客が「ギター2本?」と言った。正確にはギター2本ではない。7弦ギターとカヴァキーニョという別の楽器だが、その反応は本質を突いていた。二つの弦楽器が単なる伴奏ではなく、それぞれ独立した声部として動きながら絡み合っている。それが聴こえたということだ。
少人数が生む複雑さ
ショーロの基本編成はフルート、7弦ギター、カヴァキーニョの3人前後。驚くほど少ない人数で、驚くほど複雑なことをやっている。
バッハのインベンション
なぜか。対位法的な構造があるからだ。複数のメロディが同時に独立して動きながら互いに絡み合う。バッハのインベンションを想像すればいい。グレン・グールドの演奏で聴くと特によくわかる。右手と左手がそれぞれ完結したメロディとして独立しながら、同時に会話している。片方だけ追いかけて聴けば一つのメロディとして成立している。両方同時に聴くと、互いが互いを補い合いながら絡んでいる。
ブッカー・T・ジョーンズのオルガン
同じことをブッカー・T・ジョーンズはオルガンでやっている。「メルティング・ポット」を聴けばわかる。左手がベースラインとして独立して動きながら右手がメロディを弾く、二つの声部が対等に会話している。バッハは譜面に設計図として書いた、ブッカーTはブルースとゴスペルの身体知として自然にやった。出発点も文脈も全然違うのに、同じ場所に辿り着いている。ショーロではそれが即興的な判断を交えながら、複数の奏者の間で行われている。
ショーロの解釈
これはクラシックの室内楽と同じ発想が、アフリカ系のリズム感覚と混ざり合って生まれたものだ。19世紀のリオに流入したポルカ、マズルカ、ハバネラといったヨーロッパ・カリブ経由のダンス音楽が、アフリカ系ブラジル人の音楽的身体と接触したとき、単なる混合ではなく化学反応が起きた。声部がヨーロッパ的な多声部構造を保ちながら、リズムの重心はアフリカ的に下に沈む。その緊張関係が解消されないまま音楽になっている。それがショーロだ。
ピシンギーニャのフルートが語るもの
ピシンギーニャの演奏を聴いていると、フルートが「メロディを演奏している」という感覚を超えた何かがある。音程や装飾音の技術以前に、息の混じり方が独特なのだ。
フルートは管楽器の中で最も息が「漏れる」楽器だ。音になりきらない息の成分が音色に混じっている。その「完全には音にならない部分」が、聴く者に何かを呼び起こす。届きそうで届かない。形になりそうでならない。
ブラジル音楽に通底するサウダージ~失われたものへの甘い痛み、悲しみの中に喜びが混じるあの感覚~は、感情の話である前に音色の話として発生したのではないか。ピシンギーニャのフルートの「漏れ」が、ブラジル音楽の感情様式そのものを作ったのではないか。
カルメン・ミランダ~フルートがボーカルになった
1930年代初期のカルメン・ミランダの録音を聴けば、後年のハリウッドのイメージとはまったく異なる歌手がいる。
彼女の声の乗せ方は特徴的だ。リズムの上に乗るのではなく、リズムの隙間に言葉を差し込んでいく。メロディが「歌詞を伝える」というより「リズムの一楽器として機能している」状態。それはピシンギーニャのフルートがやっていることと構造的に同じだ。
フルートがボーカルになった。
ポルトガル語の音節の扱い方も関係している。あの言語は子音が弱く母音が転がりやすい。フルートの息の流れと相性がいい。声がフルートの代替として機能するのに向いた言語でもある。
1934年の「Coracao」はジャンルとしてはサンバだ。編成にパーカッションが加わり、ショーロの水平的な絡みより縦のビートが強調されている。しかしカルメンの声の機能は変わっていない。バッキングがどう変わっても、彼女はフルートとして動き続けた。それは様式として学んだのではなく、身体化されていた証拠だ。
ラグタイム、ブギウギとの比較
スコット・ジョプリンのラグタイムやブギウギを並べて聴くと、ショーロの複雑さの質が際立ってくる。
ラグタイムとブギウギは強力だ。オフビートの黒いパワーが直撃してくる快楽がある。しかし構造としては単一のグルーヴを一方向に押し続ける強さで、基本的に「メロディとリズムの二層構造」だ。
ショーロは水平方向の絡みがある。複数の声部がそれぞれ独立して動きながら対位法的に絡んでいく。ヨーロッパの室内楽的な多声部の発想がそのまま入っている分、複雑さの次元が違う。
混血の質も異なる。ラグタイムはアフリカのリズムをヨーロッパのピアノ様式に「乗せた」。ショーロはヨーロッパの多声部構造の中にアフリカのリズム感覚が「染み込んだ」。外側と内側の違いとでも言うか。
中村とうようによるショーロ評価
中村とうようがジャズよりショーロとサンバを大衆音楽として洗練されていると評価した理由がここにある。ジャズ~R&Bが20世紀の覇権を取ったのはアメリカの文化的・経済的な力と不可分で、音楽の質の勝負ではなかった面がある。
ショーロからサンバ、そしてボサノヴァへ
ショーロの対位法的な複数声部の絡みに、パーカッションのポリリズムが加わることで縦の重心が生まれてサンバになる。水平方向の複雑さに垂直方向の複雑さが加わった、という進化の図式だ。
そしてボサノヴァ。ジョアン・ジルベルトは、複数の打楽器がやっていたポリリズムをギター一本の指の動きの中に内部化した。静かなのに情報量が多いあの独特の密度は、そこから来ている。
ショーロの「少人数で全部賄う」という発想と、ボサノヴァの「ギター一本で全部内包する」という発想、根っこが繋がっている。
「おしゃれなカフェ音楽」として消費されるボサノヴァは、実はショーロの対位法とサンバのポリリズムをギター一本に圧縮した相当ラジカルな音楽だ。コード進行の洒落た響きとリズムの揺れだけを受け取ってBGMにするのは、ピシンギーニャをエレベーターミュージックにするのと同じことをやっている。
本物を繰り返し聴くということ
ピシンギーニャだけを、ルイ・アームストロングだけを、繰り返し聴く。幅を広げる前に本質を聴く。一枚の核心が耳に入れば、次に何を聴いても比較の基準が生まれる。基準が上がるから、新しい音楽を聴いた時に何が本物かが直感でわかるようになる。
網羅性より本質の理解を優先する。本物が何故本物かを耳で説明できることの方が、どれだけ多くを知っているかより価値がある。
「渋い」「おしゃれ」は質感の消費で、慣れた瞬間に効かなくなる。構造として聴こえると飽きない。同じ曲を聴いても毎回違うものが聴こえてくる。
ピシンギーニャのフルートの「漏れ」がサウダージを作った。カルメン・ミランダはそのフルートがボーカルになった瞬間だった。ショーロの対位法がサンバのポリリズムを経てボサノヴァの内部化に至った。
この系譜を耳で辿ったとき、ブラジル音楽は「おしゃれ」でも「哀愁」でもなく、人類の音楽的知性が生み出した最も複雑な混血の一つとして聴こえてくる。
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